2023/09/19 10:00
20年近く前の酒場で、美術関連の仕事をしている女性に出会った。
「人は誰でも素人だと思うんですよね。」
そう言いながら100年前のグラスで赤い酒を楽しんでいた。
社会的地位とか名刺とか肩書きとかで判断するものではなく、
素の人かと。
素の状態でいる時に問われる人そのもの、それが素の人。
人間性だったり、その魅力だったり、人間力が問われること。
そんなことだろうと思って、わかったような顔をしていた。
素人という言葉には、
そのまま、ありのままの人という意味を含んでいて、
ある事に経験がない、専門的ではない人という意味や、
職業としてではなく、その事を行う人という意味があると。
今、改めて考え直している素の人。
素という字は、生地のまま、手を加えていない本質で、
白絹だったり、白いこと、染色していないことの意味を持ち、
はじめ、もとになるものという意味もある。
素敵な言葉だと思う。
あれ?素敵って、ありのまま、そのままの敵ってこと?
何でも、江戸時代後半から使われていた言葉で、
すばらしいの「す」と「的」が合わさった俗語、だとか。
江戸から明治にかけては、泥棒のことを泥的、
官僚のことを官的などと言う俗語が流行っていて、
すばらしいの素と的がくっついた当て字で、
そのうち、的が使われなくなって敵になったとか。
ありのままで敵わないくらい素晴らしいかと思っていたら、
大した意味はないらしく…。
今でも使われている、なんとか的と同じらしく…。
少し興醒めしつつも、ん?
昭和の日本では必ず食卓にあったもので、
今でもアジアを中心に世界的に有名な調味料の「素」は?
味のもとになるもの、味のはじまりになるものってこと?
まあ、決して手を加えていない本質ではないと思いますが…。
食材の味のもとになるように手を加えるはじまり、かな…。
兎にも角にも、
あの美しく赤い酒がお似合いの女性に投げ掛けられた素人。
今更ながら、ようやくわかってきたような…。
もう二度と会うことはないものの、
「今、ですか?」と微笑みながら言われそうな…。
こんな今です。これが素です、はい。
先日、嵐の去った深夜の酒場で、
日本中を飛び回り、それぞれの町で酒を飲み、遊び、
それを仕事の糧としている同年代とおほしき男に出会った。
一見、敬遠されがちな言動、女性との接し方の軽妙な語り口、
俺は俺と素のままで生きてきたように思えるその男は、
カウンター席に座るとすぐに周りを取り込み中心になった。
その会話の妙、強弱や緩急のある話しぶり。
自身の経験値から培われた人の心を惹き付けるその姿。
周りとの絶妙なバランスを取りながらも、内面を伝える眼の語り。
名刺を出さず、名乗ることもせず、必要になるまでは仕事を語らず、
素の状態で体現している素敵な姿だと思った。
そのタイプやスタイルは違えども、
自分もまた、良くも悪くも素で生きてきたように思う。
ありがたい人との縁を強く感じながら、
言い続けてきた還暦までのラストラン。
それまでの5年、迎える55という年齢。
我ながら感慨深いものがある。
13日に迎える55才で残り5年。
これって、ばらしてみたら、全て素数ですね。
1から100までで25個しかない数字のエリートと言われ、
英語では、prime of number とも言われていて、
1とその数自身でしか割り切れない、その数字が素数。
この秋、新たな大仕事がはじまる。
ありがたく、楽しみでもあり、身が引き締まる役割、
このいただいた役目で役に立てるように。
ありのまま、手を加えることのない本質の時間、
そんな時間を作り出すことが出来るように。
素の人でいられるように。
木挽町路地裏で素数という名の酒場がはじまります。
令和五年 10万回の人との出会いを糧に美しい時間を
栗岩稔