TALK02:×永野大輔さん(ソニー企業(株)代表取締役社長・チーフブランディングオフィサー) 前編 | KURIIWA STYLE

2022/03/25 10:00




縁は異なもの。

永野さんとはほぼ、同世代。

別の場所で生まれ、育ち、人としての研鑽を積み、酒場の縁で知り合った。

bar sowhatでは酒番とお客様という関係から

Bar Moritaでは永野さんから酒番を任せてもらう関係に。

今、あらためて酒場が紡いだ縁の話、

お互いに五十を過ぎたからこそ伝えたい話を。

あの頃のようにジンリッキーを飲んでいただきながら。


今の自分を知る手段を持っていること


栗岩(以下、K):今日は私が作ったGINをまずは飲んでいただきたくて。ジンリッキーでいいですか?

永野さん(以下、N):いいですね。栗岩さんのジンリッキーは、とても美味しいです。僕はbar sowhatでお酒を呑む時、90%の確率で一杯目はジンリッキーでした。

K:確かにそうでしたね。

N:昔から僕の中でのルーティンのようなもので。例えば会社がオンだとすると、オンからオフ、ニュートラルポジションへ切り替えるスイッチのような役割があります。その時の自分の体調や心のバランスを知ることができる。ジンリッキーでないものにしてしまうと、自分の身体や心のモードのレベルが分からなくなります。

Kbar sowhatをしていた頃の自分にとってのそれはコーヒーですね。開店1時間前に必ず自分のためにコーヒーを淹れていました。その味が苦かったらとんがっている。緩かったら気持ちが緩んでいる。自分を判断するためのものでした。それで、その日の自分を微調整していくというか。氷の割り方にまで影響が出てくるんです。



N:栗岩さんは人に合わせてくれるので、同じお酒が出ることはありませんでしたね。疲れている時や、次に違う店へ飲みにいく時には、味が変わっていました。毎回、合わせて変えてくれるので、その意味ではレファレンスにはなっていなかったのかもしれないけれど(笑)。

K:(笑)。そのやり方でずっとやってきたので、ハイボールひとつ作る時も、メジャーカップを使ったことはありません。

N:確かに見たことないです。

K:例えば、今日、昨日、一昨日の永野さんは全部違います。でも同じ分量で作ると同じ酒が出てくるはずですが、違うと感じるのは、受け取り側の感じ方が違うということです。だからこそ、いつでも、「ここのジンリッキーは美味しい」と思ってもらえるように、手を動かすのです。以前、服の仕事で人間工学を勉強していたので、入った瞬間に人の姿勢や歩き方でその人のことが大抵分かります。疲れている人の声の出し方。今はマスクをしているので、目力からも伝わってきます。それを自分なりに判断して酒を作ります。ただ失敗することもあります。ボーダーラインを見極めないといけないので、自分にとってコーヒーはそのためのものです。野球でいうと、マウンドに上がるのと、体調管理のようなものですかね。ある一定のレベルに保つために、自分がどういう状態かを知る手段を持っていることって大事ですよね。

N:お客さんにとっては、栗岩さんの体調が常にフラットであることが前提ですからね。人に合わせてお酒を作っている栗岩さんの基準がずれていたら、全部がずれてしまう。

K:以前、お客様に「何年かぶりに会ったけれど変わらないね」と言われたことがあります。変わらないと言われることは、実はとても嬉しいです。変わらないことはダサいことではなく、変わらなく感じてもらうには、こちら側も微増しているわけですから。進化していないとそのボーダーラインを保てないわけですから。

N:気づかれない程度に変えているんですよね。これはプロの技です。何をする上でも基準値を持つことは大切ですね。


「そもそも」を突き詰める


K:なにごとも「そもそも」ってところを突き詰めたいところがあって。このGINもそこから作り始めました。最近、世の中にクラフトジンがたくさん氾濫していますが、GINの意味をちゃんと知っている人は少ないのではと思います。そもそも、11世紀にイタリアでネズに漬け込んだ薬用酒が始まりと言われています。

N:ジュニパーベリーのことをネズというのですね。

K:東京では見ることはありませんが、ネズの花が3〜4月にかけて咲きます。GINの起源は、スピリッツにネズの実を漬け込んで薬用酒として飲むということだったそうです。つまり、最低限のGINは、ジュニパーベリーに浸した酒であることが定義です。原料は何でも構いません。今、クラフトジンと言われているものは、色々なものを足し過ぎだと感じています。だからこそ「そもそも」に立ち戻って、ジュニパーベリーだけで作りました。

N:だからこんなに香りがいいんですね。

K:原種にはグレーンモルトを使い、ジュニパーベリーを通常の2倍入れています。モルトの香りとジュニパーベリーの香りがすっと入ってくると思います。

K:そもそもGINというのはこうなのでは?というものを作りたかったのです。ジュニパーベリーだけで、直球で。

N:なるほど、ここにも「基準値」が出てくるわけなんですね。栗岩さんはお酒だけでなく物事の本質を見る感度が高いですよね。高いというか深い。その深さの理由は「そもそも」を突き詰めたいという気持ちなんですね。僕も同じような気持ちを持っています。そもそもを話し始めると大体面倒くさいなと言われます。だけどやっぱり、「そもそも」は大切です。多分、僕は不器用なんだと思います。「なぜそれをしないといけないか」から思考を始めないと本質を見失う気がして不安なんですよね。


いい酒場は人の縁を紡ぐ。


K:そもそもつながりでいくと、私はずっと永野さんに聞きたかったことがあって。銀座で出会うきっかけは、bar sowhatに来ていただいたことですが、鎌倉に住まいがある中でなぜいらしたんですか?

N:物語のように話すと、きっかけは鎌倉に古くからある小料理屋さんに入ったことです。僕は2005年から鎌倉に住んでいますが、はじめはよそ者で。少しずつ、馴染みの店が増える中で、通うようになった店の一つがこのお店でした。僕が銀座に勤めていることを知って、「昔THE BANKで働いていた栗岩という人がいて、銀座でbar sowhatという店をやっているよって」。

K:最初はあのお店の女将さんだったんですね。

N:僕の中ではTHE BANKでさえ敷居が高いのに、銀座で独立し、その上1人でやっているってことは、どれだけ敷居が高いと思ったことか。さらに女将さんは栗岩さんのことを少し変わった人、店も独特と聞いたので、余計にハードルが上がっていって(笑)。でもGoogle マップにはマークをしていました。そんな時に、栗岩さんのお店の古くからの常連のH

さんという人に出会いました。鎌倉のワインバーで、たまたま一人で飲んでいたら、正面にいた彼が、小魚のお通しを僕に「食べる?」と話しかけてくれたのが始まりです。Hさんは魚が苦手だったらしく(笑)。昔に比べると見ず知らずの人と酒場で話すことは減りましたが、彼とは初対面にも関わらずお互いに自然体で色々な話をしました。そして彼は、銀座で勤めている僕にbar sowhatの話をしてくれました。栗岩という男がいると。これはあの女将さんが話している人と同じだと点と点が繋がりました。これは店へ行かなければと思い、恐る恐る行ったんです。

KHさんに感謝ですね。

N:なぜ銀座に店を出したのですか?

K:銀座に価値を感じていました。銀座の住所が欲しかった。例えば株関係の人が兜町に事務所をつくるような感覚と同じです。昭和通りの向こう側の生活感も好きでした。個性のある小さな店があって空気が良かった。それが始まりです。

N:世の中のバーといえば銀座でしたよね。


人の出会いは必然。偶然ではない。

Bar Moritaへの物語。


K:銀座には名店と言われるバーがたくさんある。だからこそ、なぜ永野さんがGinza Sony ParkBar Moritaに私をと言ってくださったのか、疑問

でもあったんです。もちろん、とてもありがたく、感謝の気持ちを含めですが。永野さんはきっと素晴らしいバーテンダーをたくさん知っているだ

ろうしと。

N:その理由を話すには、また長くなります(笑)。結論から先に話すと、僕はBar Moritaをつくる上で、バーテンダーを誰にお願いするのかが最も重要なピースだと思っていました。理想どおりの空間自体は作ることができても、お酒を作る人がその空間を支配します。空間ができたあとにそこに立つ人が、店のすべてだろうと思った時に、半端な人だと立つことはできないだろうと思いました。でも当時、栗岩さんはお店をやっていたので、僕の中ではあえて候補から外していました。そしてGinza Sony Parkという場所はお酒に詳しくない人もきっと来るだろうから、スタンダードな味のカクテルを作れる人や、スタンダードな人柄の方がいいなとイメージして、あちこちのバーに行きました。もちろんBar Moritaの話は出すことはなく。でもどうしても僕の頭の中でうまくピースがはまることがなかったんです。そして、栗岩さんに一昨年(2020年)の暮れ、bar sowhatのカウンターで「Bar Moritaという場所をつくろうと思っている」って何気なく言ったんですよね。仕事の話は一切したことがなかったのに。はじめてした仕事の話がBar Moritaのことで。そしたら栗岩さんが、「実は建物の都合もあり、この店は来年閉める」と打ち明けてくださったんですよね。


K:永野さんが仕事の話をしたのはその時がはじめてでした。今まで仕事の話なんて一切しませんし、私も振らなかった。名刺でさえ見たことがありませんでした。ちゃんとした役職があるなんてまったく知りませんでした。私もその時、あと2ヶ月で10年を迎えて、1つのチャレンジが終わると、暮れに心の中で決断していた時のタイミングでした。

N:あと2ヶ月で店を閉じると聞いた時は、信じられませんでした。でもやっとピースがはまった気がしたんです。ソニービルから続くあの場所で、来店してくれるお客さんの期待に応えながらもいい意味で想像を裏切る遊び心を持っている人、ソニーのブランドを背負いながら仕事をしていただける人。つまり、自分が信頼できる人でないとダメだと思ったとき、栗岩さんしかいないなと。これは運命で必然だなと思いました。そして、正式にお願いしたんですよね。やっぱり人の出会いは必然です。偶然ではない。

K:幸せだなと感じます。準備期間から入らせてもらい、昨年ほぼ1年間お世話になりました。銀座の端からド真ん中に自分がいるので、ここにいて良いのかなと思うこともありましたが。何しろアウトローですから(苦笑)。

N:それも必然ですよ。ソニーのブランドを背負わなければいけないと言いましたが、振り返ってみると、ソニーは人がやらないことをやる、というアイデンティティを持った会社です。これまで発売してきた商品やサービスすべてを世の中に受け入れてもらえたわけではありませんが、既存の概念を壊し常に世の中に問い続けていくという社風や文化があります。栗岩さんが自分のことをアウトローだと思うその感覚が、きっとソニーにとってはフィットするのだと思いました。実際、栗岩さんにお願いすることをリスクに思うことがなかったわけではないですが、僕は潜在的にスタンダードじゃないほうの人を探していたんだなと(笑)。

K:相当なプレッシャーを感じていました。

N:リスクを取らない選択ばかりだったらつまらないと思います。人生も仕事も目の前にチャンスがあるのにリスクを気にしすぎて踏み出せないのはもったいないなと。もちろん同時にリスクマネジメントも必要ですが最悪のシナリオを想定していれば現実は大抵それ以上は悪くはならない。ソニーという会社もそうですが、リスクがあっても新しいことにチャレンジしてきた歴史があります。栗岩さんもソニーも確かな技術力と多くの知見がありベースはしっかりしている。いくら型破りだったとしても、お酒をつくる技術が不安定でまずかったら信頼できないバーテンダーになってしまう。でも栗岩さんはそうではないので。


ー後編に続きますー


photo : Shinobu Shimomura text & edit : Masaki Takeda